幸せすぎて、くだらない。

私の、生きる教祖様。

「降りる」とはなんぞや

連続してエントリ失礼します。前回記事に関連して考えたこと。タイトル通り、担降りとはなんぞや。本記事を分かりやすくするために私の状況を書いておくと、現在嵐の松本潤くんとジャニーズJr.のPrince岩橋玄樹くんを掛け持ちしている状況だ。


  なぜかジャニオタは担降りをするとブログに書いて決意表明したがる。気持ちの整理をしたいのか、それとも宣言することでもう戻れない状況をつくり出したいのか。私もはてなブログが大好きなので担降りブログはそこそこ見かける。その度に「降りる」とはなんだろうと思う。基本的に担降りする際は、嵐からHey!Say!JUMPへなどと若い子に移ることがほどんどだ。女の子のアイドルは若いうちが華だとか言うけど男の子は違うもん!と言いながらも本当のところはアイドル全般に関してその言葉は存在するのかもしれない。もちろん降りた人の理由が若々しい華を求めた結果が全てだとは思っていない。何なら親に「最近若い子ばかり見るのね(少クラの話)」と言われるとすごくカチンとくる。話を戻そう。若い子へ移る、だから「降りる」という表現を使うのだろうか。でも「降りる」という言葉は悲しくないか。どことなくマイナスの印象を受ける。日出る国の天子と日沈む国の天子ではないけれど、降りるという言葉にプラスのイメージは少ない。人によっては自担に対して嫌なことがあった、例えば熱愛報道とか?(私自身、熱愛報道が出てもそりゃかっこいいもん恋するでしょと思うタイプ。アイドルなのに自己管理がなってないという意見はあるとは言える。)他にも幻滅してしまうような言動があったなど、ネガティブな担当変更もあるだろう。この人が嫌だ、ちょうどそのとき素敵な人が現れた。彼なら信頼できる彼に飛び込んでみよう。そんな軌道変更の人もいるだろう。しかし、大半は好きだけど、好きなんだけど、でも彼のほうが好きかもしれない。あれ?あれ???という気持ちの変化ではないだろうか。気づいたら心を占める割合が変わっている。だったら、だったら私の担当は……。それならば!彼のことは嫌いじゃないでも…!!!という状況ならば「担降り」と表すのは悲しくないですか?元自担は殿堂入り、だって落ち着いて好きなんだものと思うならいっそのこと「担上げ」でも良いのでは。自担を殿堂入りさせた彼は不動の位置にいる。そこでぽっかり空いた所に新しい彼を据え置く、こんな担上げがあってもいいのではと思うのだ。都合の良すぎる話だとは思う。掛け持ちが好まれない理由は、じゃあ複数人同時に100%の愛を労力を注げるのか?ああん??という所だからだ。二人なら200%、三人の掛け持つなら300%いけるのか?できないくせに担当とか名乗るなよ!だからこそジャニオタは誰を担当にするか頭を悩ますし、担当変更するときも非常に慎重に行う。石橋を叩いて叩いて叩き割りそうな勢い。そんななかいわゆる「担降り」したくせに元担は殿堂入り、ようこそ新自担!は逃げた結果だとも言える。だとするとあえて「担降り」という表現をするのはジャニオタの懺悔なのだろうか。ずっと好きだと言ったのに、言ったのにごめんね。見捨てる形になってごめんねという謝罪の意を込めて敢えて「降りる」と言うのだろうか。


  ここまで書きながら思ったけれど、ジャニオタってこんなに重いのか…。アイドルを応援するって趣味領域じゃないか。上記の文章の担当を元彼と今彼に書き換えても話通用するのでは、そうしたらとんでもないひどい女になる?!?!とかくジャニオタは生半可な気持ちでやっていないということだ。全力でジャニオタをしているからこそ享受する喜びも大きいし、その分落ち込むこともある。一度ハマったら抜けられない。こんな話をしておきながら、そもそも担当って言葉が嫌いだわ!という意見もある。嵐の翔さんだって好まない。ファンはファンだという(翔さんの中ではオタクは存在しないのか?)。「担上げ」ってあってもよくなーい?くらいの気持ちで書き始めたはずが、気づけばジャニオタの話になった。百人いれば担降りの概念なんて百通りあるだろう。時間が経てば変わるかもしれない。当時の自分に都合よく解釈したがるものですから人間って。とりあえず担等変えしそうするのしないの?!という人間が思う担降り論はこんなかんじ。さて今からアルバイト。チケットに変えるためのお金を得なければ。