幸せすぎて、くだらない。

私の、生きる教祖様。

ふと思った話。

 きっと読んでくださった方を不愉快にさせることになりますが、ふと思ったことを書きます。

もしかして事務所は、来月から上演される舞台『ジャニーズ・オールスターズ・アイランド』に出演するKING、HiHiJets以上の年代のユニットおよびジュニアを、デビューさせる気はないもしくは現段階のユニットでデビューさせるつもりがないのではないか。つまり、ユニット群雄割拠という名の横並び状態と言われる現在、切磋琢磨し続けているSnowMan、Love-tuneSixTONES、TravisJapan、Prince、天才Geniusでのデビューは厳しいのではないか。
 そう改めて思わせられたきっかけは、11月2日放送の少クラ。少クラレジェンドとして屋良くんがゲストでやってきたこと、年下ジュニアを前面に出してきた。KINGと似ていると騒がれている那須くん藤井くん浮所くんたちがマイクを持ちメインを張る曲があったこと(自担贔屓のフィルターを掛ければ、ジャニフワ梅芸公演で練習時間が少ないことからPrinceが自分たちだけで歌を披露できないので、ある程度の時間が生まれたことを契機として?ってフィルターかけすぎとんだ盲目か。)。ジュニア内でも若い立ち位置にいる3人。急に押され始めた勢い、曲調照明の影響もあるだろうが初々しさなんて微塵もなく、ギラつきすら感じさせるパフォーマンスだった。そして少クラだけではなく、ゴゴスマでも出演がみられる。主要メンバーが一通り出演し終わり、現在2週目と言われるターンに入ってはいるが、同時に複数媒体で推され始める恐ろしさ。

 しかし、若手を育てようとするのもいいが、その前に彼らだっている。上記ユニットメンバー及びそのメンバーと同世代の人間は、ほとんどが高校を卒業した世代だ。22歳以上の一般的に社会人となり得る年代も少なくはない。そのうちの1人がアイドル誌のミニコーナーで将来の不安を吐露した記事はファンの涙を誘い、デビューを目指す意欲をより熱いものにした。

 それでは、いまジュニアをデビューさせなくてはならない理由は何だろうか。デビュー組を14組も抱え、山下智久などソロでアイドル活動を行う人間もいる。最近はSexyZoneやジャニーズWESTも売り出そうとしている事務所。そんななか彼らとほぼ世代が同じジュニアをデビューさせて売ろうにも、どんなコンセプトで売るのか。ジュニアたちは、コンサートやイベント、舞台をやれば即日完売。仮にこれらの企画が赤字決算でも、やめることなく毎年行事となりつつあるということは事務所全体でカバーできる範囲なのだろう。収拾のつかない決算ならば取りやめになっているはず。彼らはジャニーズジュニアという大きな母体で活動できている。既存グループと食い潰し合うかもしれないリスクを抱えてまでデビューさせる意義とは。

 もちろん、ジュニアという立ち位置では雇用が不安定だ。いつ辞めてもおかしくないずっと首の皮一枚がつながった状態。いまは各ユニットがほぼ横並びだが、デビューによって今の均衡が壊れたら退所を選択する人間が出てきてもおかしくないだろう。しかし、前述の通り、彼らの年齢は決して若くはない。やることなすことに年齢制限が直結する物事は決して多いわけではないが、さあ自分の理想の未来が断たれたとき、ひたすらに芸事に勤しんできた彼らは身動きがとれるのだろうか。あくまで彼らは商売道具。辞めたあとまで事務所は面倒みない。



 私の高校時代の友人で、アイドルは歌って踊っていればいいのにどうしてドラマや映画など演劇にまで手を広げるのか。アイドルならアイドルの仕事をしろ、と言い放った人がいる。私がジャニオタだと知った上での発言。その言葉には、演劇に出演するなら最低限の演技力を身につけてからにしろ、事務所の力で下手くそなくせに無理やり出てくるな、という意味も込められていたが、根底にはアイドルは歌って踊るものだという考えがあったようだ。

しかし、歌って踊れるだけではどうやら埋もれてしまうらしい。親知らずを抜いたら頬が腫れ上がりこのまま戻らなかったらどうすればいいんだと悩んだアイドル、多方面で活躍するメンバーを見て焦りを感じ作家という新境地を開拓したアイドル、開き直ってしゃべりを武器にしたアイドル。このような発言をするのは、デビュー組なのだ。もちろん、デビューを果たすと事務所内で切磋琢磨していた状況から次のステップへ進む。ライバルは無数といるアイドルや同世代の芸能人になる。デビューを果たした人間ですら不安を抱き、歌と踊り以外に何か自分の特色を見出そうとしている。同じ事務所内のジュニアも、他とは異なる武器を持とうとする動きがみられた。一例として、今年のクリエは突如として複数公演で楽器を持つ曲が増えた。歌って踊るアイドルだから楽器を始めるのは全然おかしくはない。しかし、楽器持たなきゃ死んじゃうの?というくらいあまりに突然増えた(レポ見る限りよく披露したなっていうのもあったぞー。披露するなら頑張ったねよしよしじゃなくて魅せる域までもっていこうよそれが厳しいなら無理に披露する必要性はない)。歌って踊るだけではアイドルの世界では生きていけないのだろうか。それとも、生きていけないデビューできないからこそ鎧を纏おうとしているのか。

 KAT-TUN、えびキスなどその当時のトップユニットがジュニアを牽引していた時代とは異なり、多数のユニットが乱立し、自らの個性を見つめながら煌めきを放とうとする時代。事務所は、技量面でも人気の高さにおいてもジュニアで留めておくにはもったいないユニットがたくさんいた第二次黄金期、そんな時代があったのだと一過性のものにしようとしてはいないだろうか。


 仮に彼らがデビューしたとしても、バレーボールデビューのように選抜メンバーによるデビューの可能性の方が高い。そもそも、バレーボールデビューがそういう突飛なデビューであるし、なんて血も涙もない決断を!とファンに罵られても、底上げを図った状態からさらに秀でた人選ならば世間の反応は悪くはないだろう。何よりその反感こそが彼らの売上にだってつながることもある*1

 もちろん、こんなことを言っておきながらも玄樹くんPrinceにはデビューして欲しい。デビューして歌番組に出て、ファーストコンサートを大成功させ、いずれはドームに立つ彼らを見るまで私は死ねない、と思っている。グッズ列に並んで「玄樹くんください」と言いたい早く言いたい。ファンが彼らを信じなくて、一体誰が信じるというのか。それでもこの現状には、恐ろしいけれどどのユニットもデビューしないのではという考えを抱いてしまう。これはビジネスだから全員が笑顔になれる方法は存在しない。それでも、自分が好きなアイドルが笑っていられる世界であってほしいと願ってしまうのはエゴだろうか。

 もしかして、ジュニアのファンってこういうことは大前提の上で応援しているのでしょうか。私が結論なんて出せやしない思いをぐるぐる巡らしているこの話は、言わずもがなでしょうか。ちょっとドキドキしながらも、なるべく1人でも多くの人間が笑っていられる世界がくればいいのになあと夢を見ながら終わります。

*1:だから私は当事者ではないが、キスマイの格差売りやセク欝もあって然るべきものだったと捉えている。

感情先行型を卒業したいけど、先行き不透明な話。

文章を書くことが上手な人は、華麗な導入で始まることが多い。全く関係ない話から入ったかと思いきや、気づけば自然と本題に入っていて、おお…ここがこう繋がるのか…と震えてしまう。悲しいかな、まだ私にはそのスキルがないため、さっさと本題に入る。

世の中にはいろんな人がいるわけで、つまりジャニオタと一口に言ってもいろんな人がいる。私はジャニオタさんと直に会ったことはないが、Twitterはてなブログを通じて、たくさんのジャニオタさんの心情や思考を垣間見ることができる。その人の脳内や、ジャニオタスタンスを覗かせてもらうことはとってもわくわくする。それと同時に、きちんと自分の思いを言語化できる人に尊敬の念を抱く。私なら「好き」と「!」だけで終えてしまいそうなことでも、なぜ好きなのかいかに好きなのかだからこうなのだと、思いの丈を書き綴っていたり、140字という制約の中でまとめたりされている方がいらっしゃる。私は、感情先行型なので、物事を論理だてて日本語にできる人は大人だなあと感じる。

もちろん、感情をぶつけられる人の良い点もある。思いの丈が大きく感じられること。「好き!!!!!!!!!!!!!!!」と同じ文字をたくさん重ねれば、熱量の高さが現れる。「好き!ねえもうほんと好き!好き!大好き!!!」だれもあなたの好きという気持ちが本当かどうかなんて吟味しようとしていないのに。それでもよく目にする「ほんと/本当(に)好き」ということば。生放送の歌番組直後にTwitterでよく見られますね。どれくらい好きなの?宇宙くらい好き!がまかり通る世界。かわいい、かっこいい、やばい、すごい。そんなことばも多様しがちだ。だって意味を捉え間違えられない、容易に使えることばだから。これに「好き」を含めた5つのことばをジャニオタから奪ったら、もう黙るしかないんじゃないかしらというくらいの頻出単語。

一方、論理的に感情を爆発出来る人は、やっぱり説得力が違う。比喩表現や例えを用いたり、何かとリンクさせて話を進めたりして他人と共有しやすく、なにより分かりやすい。感情先行型が、これって垂直落下じゃないかと普段なら躊躇するような滑り台をぴょいっと気軽に滑り落ちてしまえるような感情の昂ぶりを示すのならば、論理型は何段も何段もある階段を一歩ずつ地道に着実に降りていくタイプ。体力も頭脳も使うので、目的地にたどり着く頃にはヘトヘトなんだけど、その疲れすら愛おしい。淡々と、でもしっかりと細部まで伝えうることばで綴られた文章には説得力がある。そう、論理型の人はきちんと文章になってる。SVO、ときにはSVOCが存在している。先述の「好き!!!!!!!!!!!!!!!」
なんてVしかない。TwitterならSはユーザー本人だとして、OはどこだOは。bio欄やトプ画から察せよという話だろうかそもそも脳内垂れ流しだからそこまで気にしないでいいって?

Twitterはてなブログも、自分が言いたいことを言う場所だと思うので、別に感情先行型の人を悪だ幼稚だと決め付けるつもりはない。論理型を見習えと叱咤するつもりもない。ただ、素敵な物書きさん、つまり論理型の方が書かれる文章に、私が憧れを抱いているのだというそれだけの話。私が、語彙力が泣くほど低いジャニオタなので、ことばを駆使して彼らの魅力を伝え、己の愛をあらわに出来る人に惚れ惚れしてしまう。かっこいい。くそう、ブログなのにかっこいいなんて使ってしまった。

【かっこいい】
( 形 )
〔「かっこ」は「恰好」の意〕
見た目や言動が人に好印象を与える。かっこうがいい。かっこい。 「 - ・い新人歌手」 「 - ・い引き際」
大辞林 第三版より)

辞書を引いて、かっこいいの語義を改めて知る。好印象を与えること。ふうん。

ちなみに

かわいい【可愛い】
( 形 )
〔「かわゆい」の転。「可愛」は当て字〕
①深い愛情をもって大切に扱ってやりたい気持ちである。 「わたしの-・い息子へ」 「馬鹿な子ほど-・い」
②愛らしい魅力をもっている。主に、若い女性や子供・小動物などに対して使う。 「 - ・いお子さんですね」 「 - ・い女の子」
③幼さが感じられてほほえましい。小さく愛らしい。 「 - ・い手」 「 - ・い声で歌っている」 「 - ・い花が咲いている」
④殊勝なところがあって、愛すべきである。 「あの男にも-・いところがある」
⑤かわいそうだ。いたわしい。ふびんだ。 「明日の日中に切らるるげな。-・い事をしまする/浄瑠璃丹波与作 中」 → かわいさ
大辞林 第三版より)

やっぱり辞書を引くのは面白い(あああ、面白いもなんて安易なことばかしら)。かわいいは、下に見てるかんじがあるのね。対象の性差ではなく、抱く印象の違いか。よくジャニーズのアイドル自身が、かわいいよりもかっこいいって言われたい!と言うけれど、たしかに男なら上に見られたいかもしれない。玄樹くんなら、褒め言葉ならどっちでもいいよっなんて言いそうだけどね。

私もしっかりとした理由を吐き出せるようになりたい。頭の中のぐるぐるをしっかり言語化して、彼らを応援しながら私の日本語力が上がれば、この上なく素敵なこと。それは、己を磨くためなのか、はたまた年下のアイドルを愛でる行為を正当化したいからなのか。どうすれば語彙力は向上するのだろう。本を読めと言うけれど、目で追うだけじゃなくて心に落とし込むまでが難しい。

本当に私が抱くこの感情はこの日本語で合っているのか、仰々しすぎではないか、これとこれの組み合わせって変…?という恐怖に駆られ、だったらと安易なことばを選びがちになる。それも結局は私の語彙力の問題であり、磨きをかけるしかない。

今日は少クラ放送。Princeくんは、大阪で舞台をやっていた期間の収録回だからか出番は多くはないが、彼らの姿が見られると思うと待ち遠しい。とりあえず、安易に「好き・かっこいい・かわいい・すごい・やばい」を使わない(最後2つはもうほとんど使ってない気はしている)。言ったからね?!今日少クラ見てもかわいい!って言っちゃダメなんだからね!!がんばれ私!!


〈追記〉
目が覚めて読んでみると、〜す。〜す。〜す。とひどく「〜す」が耳に目についたので、書き直してみた。しっかし、うーむ、気に入らないなぁ…。

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第1弾「はてなブロガーに5つの質問」

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第1弾「はてなブロガーに5つの質問」

ジャニーズのグループを見ていたら、まあ各ページに1つはある記事。プレゼントのカラーがライラックだって言うから書くことを決めた。だってライラックよ!そんなの欲しいに決まっている。

1.はてなブログを始めたきっかけは何ですか?

いろんなジャニオタさんの美しいブログ…を通り越したもはやレポート文を読んで、私も何か書きしたためたいと思ったから。Twitterの140字じゃ足りないときとか、すごくくだらないことも書ける場所にいいかな、と。アウトプットの場として…のはずなのに全然できてない。心の中のぐるぐるを言語化するの難しい。

2.ブログ名の由来を教えて!

1回変えたんですよね。前は、嵐の好きな曲から。冷静に眺めたら、すんごくネガティヴなフレーズを切り取っていた。「街は僕を置いてく」だからね。今のブログ名は、まさに今の状況かしら。結局、頭のどこかでくだらないと思いながらもジャニオタをやめられない。やめられない自分と、ジャニオタを通して得られた幸福に溜息をついている。多分、こんな調子でジャニオタをずっとやっていくのでしょう。

3.自分のブログで一番オススメの記事

自分の駄文置き場にオススメも注目もあるかいな、というのはさておき、オススメ…。

どうして彼なのかつらつら述べてみる - 幸せすぎて、くだらない。

これかな。玄樹くんがなぜ好きかなぜ彼なのかを書いた記事。今はまた違うポイントも生まれたので、また文字にしたいところ。喧嘩中にキレて携帯ぶん投げて画面バキバキ…。好き…。

4.はてなブログを書いていて良かったこと・気づいたこと

まず、文体を定められない。である調で書ききろうと思っても、気づけばですます調になっている。ボリューミーな独り言をつらつら並べたいのか、頭の中にあるものをカタチにして吐き出したいのか、そこらへんが行ったり来たり。
良かったことは、アウトプットしようとする気が起きること。本当はブログの設計図を書いた上で本文肉付けすべきなんだろうけど、完全見切り発車&読み返さないので、同じことを何度も言ってるはず。それでも、その時の想いを残せることは本当に有意義。
そして、記事とまでは完成できなかったけれど、下書きに残ってるあれそれ。あーー、そんなこと考えてたなぁって懐かしい。


5.はてなブログに一言

こういう機会がないと振り返りもしなかったので、良い機会でした。全然活用できていないけど、いろんな編集タグもあってとっても便利なブログなのだと思います。あとは、データ吹っ飛んだ!とかがなければ、本当にありがたい媒体です。pro登録はしていないのですが、どうかこれからもはてなブログサービスを提供していただきたいです。5周年、おめでとうございます。


http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/hatenablog-5th-anniversary

まさかの博多にやってきた。

9月30日、博多座にて「ジャニーズ・フューチャー・ワールド from 帝劇 to 博多」全17公演が無事終了した。前身となるジャニーズ・ワールド初の地方公演、博多座最年少座長、九州のパフォーマンス集団とのコラボレーション。様々な話題を引っさげて、福岡という遠く離れた地での公演。福岡に住む私としては、またとない機会であった。

 
Princeほぼ出ずっぱりだった。あんな長時間玄樹くんを拝めるなんて。基本的に玄樹くんは、気合を顕わにした顔つき。ふと隣の岸くんを見るとにこっとしている。それでも玄樹くんは睨みをきかせて前を見据えている。その反動か、『未来の祭典』にて「We pray for peace〜」とたっぷり照明を浴びた玄樹くんの微笑みは、世の中から全ての負がなくなりそう。あれ?悲劇に太刀打ちできるのは玄樹くんの笑顔?玄樹くんの笑顔で世界ハッピー?!平常時は少し突き出る唇も、笑顔のときはむうっとなるんだもの。さっきまで怒鳴っていた人がそんな表情するんだ振り幅の大きさよ・・・。


フューチャー・アイランドのお戯れタイムでは、大橋くんと目黒くんがランニングマンしたり、げんげんと岸くんがわちゃわちゃしたり、神宮寺とリチャが向かい合ったり、とにかく誰かしらが誰かしらと戯れる時間だった。しかし、鉄壁の岩橋さん。平常時は岸くんとマイケルジャクソンごっこするのみ。室くんにも丈一郎くんにも、人見知りしてしまうー!なんて言われる玄樹くん*1。序盤は神宮寺や岸くんをちらっちらっと見ていることも多くて、ちょっぴり寂しくなった。でも1回大橋くんと向かい合って踊っていて、そこだけお花が舞っているかのようだった。


玄樹くんの声に本当に驚いた。福岡は「真夜中のPrince」の放送がない地域であるため、玄樹くんの会話声を聞けるのは少クラのトークかJr.にQくらい。玄樹くんはほわほわした舌っ足らずという印象。しかし、今回の舞台では野太い声の方が多かったように感じる。「演奏をやめるな!*2」「母上様、お達者で!*3」「何考えてんだよ!*4」濁点がつく台詞。凄みのある声。こんな声も出せるのかと本当に驚いた。その一方で、「ありがとう。魂が安らぐよ。*5」では絶望しか見えないなか天使の微笑みを見せた。「56年ぶりに日本で開催されるオリンピック。どんな~をみせるのでしょお。*6」と私が抱く玄樹くんらしい発音もあった。
 声で言うと、神宮寺も驚きだった。ヒンデンブルク号では記者として長台詞をものともしない神宮寺。記者の熱意が込めに込められていて、初日に観劇したとき、正直この調子では喉を潰すと思った。2週間17公演。メインキャストで声が出ないとは言語道断。心配で心配で仕方なかった。しかし、最終日も彼の声は掠れなかった。安心するとともに、神宮寺に脱帽だ。悲劇を切り取ってばかりだからか、タイタニック号、ヒンデンブルク号第二次世界大戦、地球人vs宇宙人と玄樹くんも神宮寺も叫んでばかりだな・・・。


お笑いランドも、毎日毎日違うネタを持ってくる関ジュ。内くんもカーテンコールで絶賛していた。「プーさんだよぉ」「右ひじ!左ひじ!向井康二!」「すいませんっ!☆※〇♪!*7」に、岸くんスイッチの相方。「さ!」にて声が裏返り当人もびっくり!なこともあれば、岸くんの誕生日には「お」「め」「で」「と」「う」で岸くんスイッチという心遣いも。数少ないムチャぶりだっただろうが、またとない機会では。大阪はどうなるのだろう。


またとない機会といえば、やはり九州のパフォーマンス集団との共演。特に九州男児新鮮組は、かのSHUVAN先生がいらっしゃる団体だ。目の前であれだけ大きなパフォーマンスを見る機会はなかなかないだろう。2014夏は蓮音くん、2015夏は玄樹くんが行った技(名前がわからない)がより高度になったものをはじめ、次々と披露される技。自分たちのかなり上を行く動きを見て何を感じただろうか。玄樹くんもカーテンコールで言っていたが、素敵な仲間が増えてよかったね。


「始まる前からホームシックになった」と告白した玄樹くん。そう言ってのけるのもまた玄樹くんらしさではある。2年ぶりのジャニワ出演でもジャニワでなくジャニフワ。まさかの福岡公演。見知らぬ地で見知った舞台のメインキャスト。あれだけ出番が多ければ不安も緊張も計り知れないものだっただろう。それでも見事に走りきった。台詞が飛ぶこともなく、怪我もなく、笑顔で幕を下ろすことができた。


体全体でお客さんに手拍子を求める玄樹くん。腕だけでなく、腰も揺らす玄樹くん。なぜだろう。玄樹くんのそのお願いには、従わざるを得ない何かがある。それを無視して双眼鏡を持ち続けることだって可能なのだ。しかし、そんなことを許さない何かがある。周りはパフォーマンスを見ながら盛り上げながら手拍子するなか、玄樹くんは客席に体を向けることが多い。笑顔だから?体いっぱいいっぱいで煽るから?自己アピールに繋げながら手拍子を求めるおねだりするなんて・・・という声もあるかもしれない。でもぜひその姿を一度見てほしい。抗えない何かが滲み出ているのだ。

 
ちんまりした玄樹くん。おそらく多くの人が抱く玄樹くんの印象。しかし、それだけではない。その瞳の奥には常に静かな炎が燃えている。がっしりした腕で掴み取る未来はどんな景色なのだろう。人を魅了してやまない心を掴んで離さない玄樹くんに、これからもついていくと再び固く誓った2週間だった。やりきった感と同時に課題も見つかっただろう。それだけでも大きな成長。まずは博多座公演お疲れ様でした。すぐに大阪が始まり、今度は1ヶ月。まだまだ先は長いけれど、まずは身体を休めてね。待望の我が家に帰ったらルーキーがいるね。また、若手女優のアメブロみたいな写真*8を見せてください。

 
あああ、ノイナがトニトニが闇を突き抜けてがOHサマーぷりぷり時計You&I…。あの場所でまだ聞いていたいずっと聞いていたい。なんて、限りあるから美しいのだと昔から言うじゃない。また機会がありますように。本当に素敵な濃い期間をありがとうございました。どうかしばしではありますが、おやすみください。

*1:かんじゅ日誌より

*2:タイタニック号のポールダンサー

*3:神風特攻隊

*4:地球人VS宇宙人

*5:タイタニック号ポールダンサー。天国に導いてくれる演奏をありがとう。

*6:五輪

*7:岸くんのマネ文字表記不可でもめっちゃ似てる

*8:Myojo2016年11月号

太秦行進曲を見てみた。

  ひさしぶりに映画を借りようと思い、某レンタルショップに行ってみた。『渇き。』が見てみたくて(小松菜奈ちゃんに森川葵ちゃんだなんて私得すぎる映画だ)か行を見漁っていたら、たまたま見つけた。『関西ジャニーズJr.の京都太秦行進曲』。手に取ってみると、なんとジャニーズWESTデビュー前。これは見らねばならぬと思い、即借りた。

 

   正直、脚本やストーリーには期待していなかった。ジャニオタ脳が先行しすぎて、好きな人が出ていればそれで良いという思考だからだろうか。とりあえず彼らの若かりし姿が見られればと思っていた。そんな変な期待は、良い意味でも悪い意味でも裏切られなかった。役所もごくごく小さなアクション教室に通い、いつかアクション俳優として売れてやる!と意気込む若者たち(重岡大毅桐山照史中間淳太浜中文一小瀧望向井康二藤井流星)だ。関西ジャニーズJr.初の冠映画。彼らがこの映画に熱意を持たないわけがない。私は映画撮影・公開当時の彼らを知らないが、彼らの当時の状況と役所はリンクするものがあるだろう。若さ故の熱意というものは、時として恥ずかしさを感じさせたり、目も当たられなかったりする。良い意味で、とても人間臭い映画である。重岡くん若いし、えくぼ健在だし、流星くんから滲み出るチャラ男感、その姿だけでも見られたらいいかと思っていたら、やはりジャニーズ、ひいてはJr.映画。それだけじゃ終わらない。脚本は誰だ!彼らにこんなこと言わせたのは誰だ!そう言わずにはいられなかった*1

 

 

   場面その1。彼らは、斬られ役ではあるがせっかく舞い込んできた時代劇のお仕事で上手く立ち回りをすることができず、先輩役者に散々に言われ、頭にきた三村(重岡くん)は危うく一触即発の事態に陥る。しょげる彼らを見かねた…あれは出演者なのか?が、彼らを誰ひとりいない小さな映画館に連れて行く。そこで、何が見える?と問う。「先輩役者は彼らの若さに嫉妬しているのだ。君たちは若いから夢がいくらでも持てる。これからじゃないか。」ざっとそんな話。彼らの役に年齢設定はおそらく設けられていないが、本編冒頭での三村(重岡くん)は、仕事は週に2日ほど地域のヒーローショー(主役ではなく敵役)のみ。いい加減働きなさい家のローンもあるんだから、と母親から窘められている。つまり、世間一般的にはフリーターと言われる部類だ。家族からの発言に上手く言い返せない彼が、可能性はまだまだあるんだと先輩役者(いい年のおじいちゃん)に激励される。

 

   場面その2。その後、彼らの所属するアクション教室にまた映画の出演依頼がやってくる。7人いるなか、出演が決まったのは6人。大志(文一くん)は選ばれなかった。その判断をくだした先生たちに抗議する6人。しかし先生たちは、お遊びじゃないきちんとできる人間をあちら側に送るのが筋だ今回はこの6人でいく(超大意)と伝える。大志は応援してると言うが戸惑いと悔しさが隠しきれない。撮影現場でまた6人は壁にぶつかるのだが、大志の言葉で6人はまた前を向き、撮影に臨む。

 

  この2つが、特に記憶に残った場面だ。理由なんて明言せずとて伝わるだろう。彼らは、どんな気持ちでこのシーンを演じたのだろうか。本作の公開は2013年3月30日。7人のうち最も学年が上である文一くん淳太くんは当時26歳、真ん中あたりに位置する向井くんも大学進学の年であり、周りは新たな道へ進んだり、社会人としてそこそこのキャリアを得る頃だ。そんななか、芸能界という華やかなではあるが、将来が一切見えない世界に生きる彼ら。ましてやJr.。あまりに自分と似すぎた設定だ。また、仲良しこよしではいかない物事との対面。いま本作を見たら、ジャニーズWESTのデビュー経緯を思い出さずにはいられない。私はデビュー発表の衝撃葛藤混乱等をリアルタイムでは知らないのだが、憶測からでも何とも言えない気持ちになる。本作では仕方ないと割り切り前を向く6人。だが、現実世界でそのうちの5人は、1年と経たずに似たような状況に直面する。しかし、彼らは諦めなかった。諦めなかったことが正解か不正解か、それは誰にも分からないことだが、これが良かった正しいのだと納得させられるかは、あの7人の努力次第だ。

 

   もちろん、本作はあくまで映画、脚本ありきのフィクションだ。ホームページ等を見る限り、原作は見当たらない。つまり、彼らのためにつくられた映画だといえる。彼らが前へ前へと進んでいく姿で終わるのだが、おそらくまたあの教室で先の見えない生活を送るのだ。ああ、まるでJr.ではないか。事実Jr.なのだが。もちろん、三村と重岡大毅は別人なのだから、あまりに重ねすぎるのは失礼にあたるのだが、出演者やストーリーからして彷彿とさせてしまうのは仕方ないことだ。メインの7人のうち、1人は舞台等々で活躍し、5人は念願のデビューを果たしているから笑って見られるのかもしれない。

 

   最後は、突然歌が始まる。オリジナルソング“NOT FINALE”。何が面白いって、京都太秦と銘打っているから、主に和装姿、舞台は京都。バリバリの日本映画なのだが、バックにリチャがいる。いやぁリチャは目立つ背景が和だから余計に目立つさすがだ。後半は、7人も着物を脱ぎ捨て、よく見るキラキラとした衣装で歌い踊るのだが、いやぁ興味深い。センターは重岡大毅なのだ。引き算すればセンターは彼が適任だが、そんな残り物仕事ではなく、きっと彼はセンターになるべくしてなったのだと思う。実際、彼の所属するグループ、ジャニーズWESTでも重岡大毅はセンターだ。ああ、興味深い。ザ・アイドルな風貌ではないものの、アイドルであることを誰よりも諦めなかった誰よりも強く思った彼のセンター論は、きっととても深いものになるだろう。

 

   若かりし彼らを拝むために借りた『京都太秦行進曲』。想像以上に大きなものを得る映画だった。

 

 

*1:脚本は、本木克英さん。『釣りバカ日誌』『犬と私の10の約束』『鴨川ホルモー』『超高速!参覲交代』などに携わっている方

コインロッカー・ベイビーズ6/25福岡公演 自分用覚書

待ちに待った6月25日、福岡市民会館にてコインロッカー・ベイビーズを鑑賞した。舞台を見に行くのは、昨年のSHOCK以来。ジャニーズ以外の舞台で考えると、高校時代に学校行事の一つであった芸能鑑賞にて、博多座で三銃士を観た以来である。購入したパンフレットの曲目を見ながら、自分のための覚書として残してみようと思う(以下ネタバレ・・・原作がある時点でネタバレも何もないかもしれないし読む人なんていないと思うが、詳しく書くつもりではいるので、まっさらな気持ちで舞台を見たい人はどうか戻ってください)。


 初めての福岡市民会館。席は1階席1桁列。ある程度期待はして行ったが、あまりの近さに驚愕する。本当に1,2列目の人はもはや見上げるレベル。私がいた列あたりは舞台の高さとほぼ同じ高さなので、見ることに関してはとても良環境だった。もちろんに双眼鏡は必要ない(私が忘れてしまったからでもあるが)ほぼ中央の、気持ち下手寄り。私は1ブロックの右端の席だったが、同ブロックの左端の通路にふみきゅんとはっしー、ベイビーズが降りてきた。くそう・・・と思ったが、いやいやある程度距離があったほうがガン見出来るではないかと思い直した(ええ、負け惜しんでなんていませんもの)。


 そもそも、本作品をなぜ観に行こうとしたかと言えば、もちろんふみきゅんはっしー、そしてさなびーに興味があったからだ。それっぽいことを言うと、村上春樹がコインロッカーベイビーズ読了後、自分もこのような作品が書きたいと思い専業作家になったと知り、さらに興味がわいたのだ・・・言い訳はやめましょう素直にふみきゅんたちが見たかったのだ。当初、本舞台は東京公演のみだった。そのため、図書館で作品を借りて読み、ストーリーにうっとりし、こんなスケールの作品をどう2時間でまとめるのかそもそも映画でなく舞台になりうるのか、様々な思いを抱いた。すると、追加キャストさなぴーの発表。地方民は東京なんて行けないよ・・・と嘆いていたら、福岡広島大阪公園の追加発表。メールで知ったとき、思わず声が出てしまった。そこから申し込み、メール会員だったので封筒が着くまでやきもきしていた。土曜公演のみしか申し込んでいなかったが、無事に青い封筒が届き、いまパソコンに向かってカタカタと文字を打てる状況にいるわけだ。完結に感想を述べると、常に体内で体内をぐじゃぐじゃに引っかき回され、どろどろに溶かされる作品。しかし嫌悪感はなく、常に気持ちよくなる物も同時に投入される(我ながらアブナイ表現)のか、ニヤニヤが止まらない。自分が受け止められる容量を常に2割ほどオーバーした量の名状しがたい感情が常に体内で暴れまくっている、そんな気分。恍惚とさせてくれる中毒性の高い作品だったように感じる。出演者も言うように、かなり過激な舞台だが、また観たい、本当にそう思わせる作品。


  最初に大まかにざっと言うと、キクが歌ったとき、あまりに優しく綺麗な歌声に頭がついていかなかった。あれ、ふみきゅんそんな歌い方だっけ。突如流れる「かわい~はかわいいか~い」とは似ても似つかない歌い方。発声が違うの?ハシはわりとはっしーの声だったのに。にしても2人とも音を外さない*1。最後までキクの歌声にびっくりさせられる。あと、みんな滑舌がいい。聞いてて気持ちいい。さなぴーはわりと早口の台詞が多いが、変で雑な発音がなく、はきはきと声を出した上で演技をする。舞台では当たり前かもしれないが、なんせ普段見に行かずもっぱらドラマ映画しか見ないので感激した。滑舌は本当に大事。正直、ハシがはっしーなんてネタなの?と思ったときもあったが、気が弱くいつもキクの後ろに隠れるハシ、次第に悲しいくらい壊れ狂っていくハシを見事に演じたはっしー。最年少でえびちゃんずーですぐイラっとしちゃうはっしー。そんな印象が少し変わった気がする。また、さなぴーの狂い分けがしっかりされている。もちろん5役の人柄は違えど、同一人物に見えることはなく、まああそこまで気持ち悪く演じるものだな、と。演技派Jr.と言う呼び名も納得。はしふみさなぴーの演技は初めて見たが、もっと3人にお芝居のお仕事がくればいいのに!と思ってしまうくらい、3人とも素敵だった。


 それでは、本題へ。ステージは3×4かな・・・白い骨枠。下段中央が前後スライド式。中断中央からステージに降りるときは、袖から階段が出てくる。バックはその階段以外は変わらないかな。その枠組みは背中?後ろはスケルトン。上手下段あたりに誰かいると思えば、バンドメンバー。生演奏だった。ドラムの動きくらいは私の位置からでも少しは見える。そわそわしていたら気づけば始まった。まさかのさなぴー!役その1駅員。表情も感情も無な駅員。だがこれはコインロッカーベイビーズ。その無がかえって不気味。「あっコインロッカーが開いてる・・・」で暗転し、

1.『コインロッカー・ベイビーズ
枠組み下段から上半身黒メッシュ、おむつを履いた男性、その後に女性が出てくる。彼らはコインロッカーに捨てられた新生児。ママが捨てたママが捨てた・・・でも本当に捨てたのは神だ!(うろ覚え)といった歌。ハシキクは上裸に白パンツ。神が捨てた、のセリフとおもに親指を突き立てて首の前で横に動かし、そのまま手を下に振り下ろす。何度かその動作が見られて、非常に挑発的な歌。淫靡で退廃的なオープニングと聞いていたので、このことをそう言うのか・・・とぼんやり考えていた。


2.『運転手』3.『血濡れの運転手』
芋洗坂係長演じる役柄の一つである、ひたすらにしゃべり続けるタクシー運転手とアネモネ。枠組み中央がスライドする。プチプチかな?ぐるぐる巻きでまるで小包のようなガリバー登場。金が要りますね・・・近くに闇賭博をしている友達がいるからちょっと殺してきます・・・。人間ってあっけない。柔らかいんですねゼリーみたい!と言う運転手。いやー、運転手の話に何の反応も示さなかったが、人を殺して真っ赤なナイフを持った運転手に「あんた臭いのよ!!!」と言えるアネモネ。冒頭からこのちぐはぐさ。そりゃ逆上するわたまたま通りかかったキクが鉄パイプで運転手を殴り、一件落着(?)。少クラで「オレ1回も笑わないから。ずっと怒ってる。」と言ったとおり、前髪上げ気味でしかめっ面。何もかもが気に入らないといった顔。


曲名見ても記憶とリンクしないので、ととんと。
和代とハシキクがデパート屋上の遊園地に行くシーン。ハシキクが風変わりな格好をしているぞ・・・と思ったらまさかのブレザー!まさか、まさかあの2人のブレザー姿が見られるなんて夢にも思わなかった。ハシはきちんと着ているが、キクはシャツの胸元は開いてるし裾は出てる。2人はオムライスがお好き。ハシはイベントステージで催眠術を受ける。精神病を患ったことは?と聞かれ、おはようと返すくらいに軽く「ないよ」と答えるハシ。そうなんだ知らないだけで実は精神治療を受けている・・・。ここで事態が急変する。催眠術を受けているのはハシだが、キクの顔が次第に歪んでいく。跪いて頭を抱える。(恐らく原作通りの)催眠が暴走し、うわあああああああと叫ぶキク。壊れるハシ。そうなんだよ、2人は治療を受けたことも自分が変わったことも知らない。だって変わったのは世界の方なのだから。


治療は、卵みたいなケースの中で三角座りをする少年2人。ドッドクと鳴る心臓音。ここで精神科医が治療目的方法などをつらつら話すが、彼女が手にする携帯電話はガラケー。あとでアネモネの通話シーンでもガラケー。1980年代辺りの設定に法っているのだろうか。ただ、ガラケーだとかっこよくパチンと閉じて、場に緊張感を与えるという効果も持つ。彼女もパチンと閉じて、したり顔で言っていた(内容は忘れた)。


曲名見てもパッと出てこない。まだ数時間前の話なのに。

棒高跳びの要領で鉄条網を越えるシーン。階段を力強く上り、枠組み中断から飛び降りる。その姿に歓喜するアネモネ。このあと何回も言うが、終始アネモネがかわいい。

アネモネ「私はビルが好き!高いビルが好き!」
 東京はいずれ沈むからビルが必要らしい。


12.『オシャレせなあかん』
ハシが倒立して、Dのボディーガードに脱がされパンツ一丁になる。それから、オシャレをしなければ、脱がされるためにもオシャレをせなと歌うD。二ヴァがハンガーラックにある複数の服からハシにあててあれでもないこれでもないと選ぶ。これじゃないわと投げ捨てられたストールを一生懸命キャッチしようとするボディーガードがかわいらしかった。


13.『ワニの国』 
本作品で最も好きな歌。アネモネがひたすらにかわいい!!!!!「あたしワニの国の使者よ」と歌うアネモネ。ワニの国はどこだ。舌の奥の柔らかいところ!舌?顎?を掴んで口奥を見るキク。いやいや、キクはいたって真面目なんだろうが滑稽な姿。キクに抱きついたりふふって笑ったり(例えはよろしくないかもしれないが、ハリポタのベラトリックスみたいな・・・。他にいい例があれば変えたいと思う)、自由奔放なアネモネ。黄色いポップコーンらしき袋を片手に、そんなアネモネを眺めるキク。そして「L・O・V・E!ア・ネ・モ・ネ!!」のオタ芸。サイリウムを片手に1本ずつ持ち、冒頭で登場したベイビーズたちの格好をした集団がキレキレのオタ芸を披露。初めてオタ芸生で見た・・・。終了後カーテンコールでシルビアさんが少しオタ芸をするのだが、そのときの楽しげな表情と、キレイに踊るオタ芸。あれは動きはオタ芸だったけど溢れ出るオーラは優雅だった。オタ芸に変わりはないのだが。


何の曲かは分からないけれど、噂に聞いていたハシとニヴァ、キクとアネモネのキスシーン。もうキクとアネモネは楽しそう、というよりアネモネに振り回されている。キクがアネモネに馬乗りになって、まあ言葉通り脱がしにかかるのだけど、アネモネはびっくりして拒否する逃げる。そのうち、逃げることを楽しみ始める。ほとんど怒った表情しか見せないキクだが、アネモネといるときはわりと緩んでいる。それでも笑ってはいないし、仮に笑ったとしてもニヤつく程度で歯は見せない。いやー。でも楽しそうなんだ本当に。1段上がってキスして、キスされた方がまた1段上がってキスして・・・の繰り返し。んもう、楽しい!(ハシはごめん・・・ふみきゅんばっかり見てた)(アネモネ役の昆夏美さんは私と同じ身長。だから?そこは察してくださいつまりキクとの身長差も同じなのよ・・・)私の3列前のお姉さまがすかさず双眼鏡を取り出す。どなた見てらっしゃるのかしらと思ったらキクだった。見事ロックオンされるお姉さま。さすがです。


14.『拳銃はどこだ』
微笑ましいほどだったが、Dの思惑により拳銃を渇望するキク。その恐怖に耐え切れず、せっかく隠していたのに渡してしまうアネモネ。テレビ中継のリポーターをするさなぴー。イヤミの塊。自分がいかに注目されるかを考えてるし、自分以外にスポットライトが当たるところはつまらなさげ、どうでもよさげな表情。キクが持ってる拳銃はあなたが渡したんでしょうが!記憶にはないでしょうが!あれがキクのお母さんだよ!僕のお母さんはもう死んじゃったんだ!!なんて突然で残酷な事実。母親にあったら俺は母親を殺すけど、あいつは自分を殺すから、とハシを助けに行ったのに。で、きちんと斜め上に向けた状態で撃っちゃうわけだ。


ここで20分の休憩。
あたしワニの国の使者よ♪が頭の中でぐるぐるしてる。


16.『裁判』
裁判におけるレポーターはさなぴーではない。うって変わって生気のないキク。必死なアネモネの声にも、アネモネを見はするが反応を示さない。


17.『殺してあげる』
うん、アネモネが好きなんだ。あんたが死んでるみたいに生きてるなら、いっそあたしが殺してやるわと力強く歌う。さすがアネモネ思考。きっと昆さんにとってはギリギリのキーの音があるけど、ファルセットでなく歌いきる。ほんのわずか感じられる歌いにくさ苦しさと、アネモネの気持ちがリンクしているのでは。いやー、アネモネの服装がまたカラフルで奇抜。服装も含めて好き。


やっぱり曲名と内容がリンクしないので、またもやととんと。

・あれだけ魅惑的異質だの言われたハシの歌がバンドメンバーと共に明らかになる・・・って一幕でも歌ったか。ねっとりしているがまとわりつきはせず、でも聞いていたい。きっとハシのつくる歌は作りにくいが手を抜ける箇所でもなく、こういうところが3D化したときに大変なんだと思った。

・二幕はどんどんハシが壊れていく。舌を5mm切るシーンはどうするのかと思ったら、正座しながら舌を突き出して怯えながら笑うハシ。覚悟を決めて俯く。ニヴァが優しく、どうしたの?と問い、ハシが顔を上げると口の周りが血だらけ。驚いたニヴァが駆け寄り暗転。

・目がうつろってこういうことを言うのかしら。ハシの目がどんどん狂っていく(目の開き方、黒目の位置が肉眼で分かるくらい、舞台が近かった)。一幕ではシャツの裾を掴んでいたり、弱々しいハシ、引っ込み思案なハシだったが、拍車がかかるように壊れていく。蠅を食べて、ある残酷な事実に気づく(思い込む)ハシは、キクのもとへ面会に行く。どこぞの嫌味な金持ちだよというくらい蛍光イエローでフサフサのジャケットを羽織るハシ。音の在り処が分かったこと、愛する者を殺さなければならないこと、ニヴァのお腹には赤ちゃんがいるから2回も音が聞けること。これらを言うときのハシは声が上ずっていて、かつ人を殺す雰囲気ではなかった。やりたくないけどやらなくちゃ。狂った使命感に駆られている。ずっと探していた音をキクにも教えてあげようとする。去り際の一言(ありがとう、キクだっけ。覚えていないぞ…)が、低く地に足付いた声だった。一気に正常に戻る…けど、ハシの正常が気弱でキクの後ろに隠れる姿なら、そのハシはハシじゃなかった。それが余計に怖くて悲しくて、キクと観客に絶望を与える。
アネモネの歌声は若くて快活。一方にニヴァは、行動も歌い方も落ち着いている。落ち着きながらも、この子は死なないわコインロッカーで生まれた人の子よ?と歌い上げる姿は、凛としていてさすがニヴァだった。ニヴァを刺した途端、いままで聞こえていた心臓音がピタリと止まる。それに混乱するハシ。そうなんだよ愛する者を殺したから聞こえる音ではないんだよ。

・死んだと聞かされていたのに、生みの親と再会したハシ。騙されていたと気づき、母親の首を絞めるが、もう僕は殺さないよと穏やかに言う。

ROLLYさんの生ギター演奏!照明は赤。真っ赤。ドギツイ赤。ギュインギュイン鳴らすギター。かっこよかったけれど、もっと尺があってほしかった。あくまでこれはDでありお芝居であるから、見たければライブへ足を運べという次第。

・さなぴー、ダイバーとしてダチュラの説明をする。本作品脱いでばっかり。カラギ島で起こった3つの事件をつらつら説明する長台詞。

・続いてさなぴー、山根。囚人として出るだろう演じるなら山根かなと思っていたが、これまた変わった役。髪の毛ボサボサです、す、すごく言葉がつま、ま、つまってる。ヘラヘラして頭痛に苦しんで人殴っちゃうからね。

・気づけばダチュラをゲットしていたキク。海に潜る必要があるからカットされるのは仕方ないが、あっさりしていて少し残念。


33.『心拍』
オープニングと同じ、上裸に白パンツ。心なしか照明も白く明るい。ハシはまともになったの?とか、キク東京破壊するの?など疑問はさておいて、ああこれで終わるんだろうなと寂しさがある。キクとアネモネは手をつないでいる。「音が消えた~」ハシもキクもいろいろあったけど、とても澄んだ声。


カーテンコール
さなぴーばかり見ていたが、さなぴーが終始かわいいお茶目。手をくるくるさせたり、音楽にノったり。たくさん役は出てくるが、改めて見るとキャストの数はそんなに多くない。ハシキクアネモネDニヴァ以外は全員掛け持ち。早着替えにメイクに、きっと後ろはてんやわんやだったんだろう一瞬ハシのマイクが入るのが遅れて、1,2音ほど地声が響いていたが、目立ったトラブルはそれくらいだった。はっしー「福岡2日間ありがとうございました。残る公演もこのメンバーで駆け抜けます(大意)」と挨拶。全員が捌けたあと、最後にはっしーとふみきゅんが「これが俺たちの、コインロッカー・ベイビーズだ!!」と言って去る。バンドによるエンドロールにて終了。



後半は翌日書いたこと、疲れたこと、情報量多すぎて処理できなかったこと・・・理由いろいろつけるが、なんと雑な雑な文章!でもこれで、いろんな方のブログが読めるのは本当に嬉しい。うろ覚え、感想なし、役立たずなレポもどきだが、まあもう完全自己満の世界。小説を読んで、私の頭の中がダチュラでいっぱいになるくらいだった。そのため、ダチュラがどう描かれるか期待して行ったので、あまり深く触れられなかったのは寂しかった。キク側の話だから仕方ないか。そこはさなぴーの早口長台詞まわしで救済されたかしら。


舞台を見ながら、ジャニーズって大変だな・・・と思ったことはまた次回。にしても、静止画の帝王って動いてもかっこいいじゃん!顔を歪ませて感情を露わにするキクかっこよかった!!

*1:パンフのふみきゅんのページに、そのことで監督から言及されたと記述がある

「降りる」とはなんぞや

連続してエントリ失礼します。前回記事に関連して考えたこと。タイトル通り、担降りとはなんぞや。本記事を分かりやすくするために私の状況を書いておくと、現在嵐の松本潤くんとジャニーズJr.のPrince岩橋玄樹くんを掛け持ちしている状況だ。


  なぜかジャニオタは担降りをするとブログに書いて決意表明したがる。気持ちの整理をしたいのか、それとも宣言することでもう戻れない状況をつくり出したいのか。私もはてなブログが大好きなので担降りブログはそこそこ見かける。その度に「降りる」とはなんだろうと思う。基本的に担降りする際は、嵐からHey!Say!JUMPへなどと若い子に移ることがほどんどだ。女の子のアイドルは若いうちが華だとか言うけど男の子は違うもん!と言いながらも本当のところはアイドル全般に関してその言葉は存在するのかもしれない。もちろん降りた人の理由が若々しい華を求めた結果が全てだとは思っていない。何なら親に「最近若い子ばかり見るのね(少クラの話)」と言われるとすごくカチンとくる。話を戻そう。若い子へ移る、だから「降りる」という表現を使うのだろうか。でも「降りる」という言葉は悲しくないか。どことなくマイナスの印象を受ける。日出る国の天子と日沈む国の天子ではないけれど、降りるという言葉にプラスのイメージは少ない。人によっては自担に対して嫌なことがあった、例えば熱愛報道とか?(私自身、熱愛報道が出てもそりゃかっこいいもん恋するでしょと思うタイプ。アイドルなのに自己管理がなってないという意見はあるとは言える。)他にも幻滅してしまうような言動があったなど、ネガティブな担当変更もあるだろう。この人が嫌だ、ちょうどそのとき素敵な人が現れた。彼なら信頼できる彼に飛び込んでみよう。そんな軌道変更の人もいるだろう。しかし、大半は好きだけど、好きなんだけど、でも彼のほうが好きかもしれない。あれ?あれ???という気持ちの変化ではないだろうか。気づいたら心を占める割合が変わっている。だったら、だったら私の担当は……。それならば!彼のことは嫌いじゃないでも…!!!という状況ならば「担降り」と表すのは悲しくないですか?元自担は殿堂入り、だって落ち着いて好きなんだものと思うならいっそのこと「担上げ」でも良いのでは。自担を殿堂入りさせた彼は不動の位置にいる。そこでぽっかり空いた所に新しい彼を据え置く、こんな担上げがあってもいいのではと思うのだ。都合の良すぎる話だとは思う。掛け持ちが好まれない理由は、じゃあ複数人同時に100%の愛を労力を注げるのか?ああん??という所だからだ。二人なら200%、三人の掛け持つなら300%いけるのか?できないくせに担当とか名乗るなよ!だからこそジャニオタは誰を担当にするか頭を悩ますし、担当変更するときも非常に慎重に行う。石橋を叩いて叩いて叩き割りそうな勢い。そんななかいわゆる「担降り」したくせに元担は殿堂入り、ようこそ新自担!は逃げた結果だとも言える。だとするとあえて「担降り」という表現をするのはジャニオタの懺悔なのだろうか。ずっと好きだと言ったのに、言ったのにごめんね。見捨てる形になってごめんねという謝罪の意を込めて敢えて「降りる」と言うのだろうか。


  ここまで書きながら思ったけれど、ジャニオタってこんなに重いのか…。アイドルを応援するって趣味領域じゃないか。上記の文章の担当を元彼と今彼に書き換えても話通用するのでは、そうしたらとんでもないひどい女になる?!?!とかくジャニオタは生半可な気持ちでやっていないということだ。全力でジャニオタをしているからこそ享受する喜びも大きいし、その分落ち込むこともある。一度ハマったら抜けられない。こんな話をしておきながら、そもそも担当って言葉が嫌いだわ!という意見もある。嵐の翔さんだって好まない。ファンはファンだという(翔さんの中ではオタクは存在しないのか?)。「担上げ」ってあってもよくなーい?くらいの気持ちで書き始めたはずが、気づけばジャニオタの話になった。百人いれば担降りの概念なんて百通りあるだろう。時間が経てば変わるかもしれない。当時の自分に都合よく解釈したがるものですから人間って。とりあえず担等変えしそうするのしないの?!という人間が思う担降り論はこんなかんじ。さて今からアルバイト。チケットに変えるためのお金を得なければ。